南海トラフ地震・津波の被害者0を目指す! 想定外の災害には想定外の対策で!

草津総合病院 岩崎 良昭

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 先日、SNSを見ていると、 松下幸之助は伊勢湾台風の後、松下の財産すべてを出して被災者に米 味噌 水を提供した。災害のあと、全ての電気会社は製品を売りにいき、圧倒的に売れたのは松下製品であったとの記事を目にいたしました。
この瞬間こんなことをやっていてはいかん。南海トラフ地震ではこれの逆をやらなければならないと感じたのです。すなわち、企業は地震が来る前に財産を出し、生産拠点の工場や社宅を津波の及ばない地域に移すべきだと。従業員は働く場所の移動なしでは、住居の移転は出来ません。経営者は先行投資をして 従業員やその家族を守るべきと感じたのです。
 南海トラフ地震の被害規模は地震の被害者32万人 津波の被害者23万人 災害関連死亡者 68万人 3日間提供できない食料 3200万食 医療提供出来ない数 入院15万人 外来14万人など。交通網も遮断され、救助に入ることも困難で、食料の提供もできないでしょう。
 工業地帯は生産拠点を失くし、貴重な従業員を失い、GDPを大きくさげ、アジア最貧国になり、日本が壊滅してしまいます。南海トラフ地震の起こる確率は30年後の70%と言われています。従って、それまでに国を挙げて南海トラフ地震対策を取り組まねばなりません。まず土地の確保です。 山を削り田畑を埋めます。
 山や田畑を住宅地に変更するには財産権に関する法律 憲法の見直しも必要となります。国民の命を守るために憲法を改正するのです。津波の波及地からできるだけ人口を減らすのです。
  
 水産業者など、移住できない人にも命を救う方法を検討しなければなりません。地震後津波が来るまでに避難地までたどり着けない人を救うために、人を運ぶドローンを開発します。寝室を2階に設け、天井にドローンを装備します。天井に緊急脱出用の天板の部分を設けて、ドローンで 避難します。避難地までのルートはプログラミングされ、自動操縦で衝突もなく避難できます。使用後のドローンは、津波に投げ出された人の救助に当たるのです。
 自宅や会社には 電灯付きのヘルメット・救命用の浮き輪にもなる緊急用品が装備したバッグを設置し、津波に巻き込まれても水面に浮いているようにします。そこへドローンがやってきて救助にあたります。一人でも多くの命を救うのです。
 避難所には 食事の準備ができる設備やトイレなどを設営しておかなければなりません。床の上や車の中で寝るのは エコノミー症候群をきたし、災害関連死を増やしますので、必ず簡易ベッドが必要です。
 津波の波及地の高層階のビルは避難場所になりますから、休日でも、津波警報が出た際は自動的に玄関ドアが開き、屋上に避難できる人に優しいビルに改良します。電気設備室も水の被害にあわないように より高層に移し、エレベーターは停電時でもソーラーパネルで動くように。災害後もビルの価値を落とさない対策をとるのです。
 病院の屋上にソーラーパネルと蓄電池を設置して、停電時でも手術室や透析室などは機能できるようにします。窓ガラスも地震で割れないようにガラスにシートをはり、怪我をされないような配慮も必要です。
  
 地域の医師会とホテルが提携し 大災害時 軽症患者さんはホテルで医療行為を受けられる所とし、効率医療に心がけます。入院が必要な人はホテルで入院し、開業医さんのスタッフで巡回します。重症患者さんは病院で医療を受け、多くの命を効率的に救います。
緊急時の輸血不足は、各病院や ホテルの緊急病院で患者さんご家族に依頼します。最短距離で 輸血の確保をします。
 
 これらの対応や住民避難訓練を、定期的に行います。この時、隣の人も無事であるか確認して避難する習慣をつけます。津波到達時間を考え、いつまで救助活動できるかも把握しておきます。車移動は道路が込み、逆に命を落とし、救急車などの緊急車両の運行を妨げてしまいます。車の使用は絶対しないように啓蒙しておきます。一人の命も落とさないように!

 避難不能と判断した際、家庭には 津波対策用のシェルターを配備し、耐震性で 水に浮き、老人や障害者の方はシェルターに入ります。シェルター内には3日分の水と食料を入れておきます。海に漂い 船による救出を待ちます。
 
 地震後、避難体制に入ったら、家の前に緑の旗をかかげます。緑の旗の上がらない家は 救助しなければならない人がいるので、住民は協力して救出にあたります。救出が成功したら、同じように緑の旗を掲げます。時間との戦いです。
 東北大震災の時は、津波の高さに、逃げようとの気力を失くした人も多かったと思います。南海トラフ地震では 訓練をやっているので逃げれば助かるとの意識付けします。親子 祖父母がそろって家族です。誰が欠けても、大きな苦恨を残します。一人ひとりが生き抜く覚悟と準備をしておくのです。

 行方不明者を早期発見するため、皮下にチップを埋め込みます。生体電流で居場所を知らせる発信機となります。携帯電話に災害時のみ有効となるセンサーを装備します。災害時のみセンサーが軌道するようプログラミングし、携帯電話で生きている人の場所を特定し、皆なで救出します。
 倒壊家屋より火が出ないよう、計画停電や、火災に際し、水の確保も必要です。空き家をつぶし、貯水設備を設けます。倒壊している家より住人を救助するためにチェーンソーや 重機も整備します。救助用ロボットも必要です。

 鉄道・新幹線も、岐阜羽島より長野ルートを作り東西の交通網を確保します。第二名神高速道路も耐震対策をとる必要があります。日本海側にも港を整備します。
 海上空港は使い物になりませんから、大阪国際空港 小牧空港の国際空港化が必要となります。
 これら対策は大きく内需を動かします。内需主導の景気回復で、財政再建をはかるのです。国家経営の視点で、財政再建を図ります。経営者視点を持った国会議員が増えれば、可能です。
 敗戦後は、何のないところより 立ち上がり 日本を繁栄へと導いてきました。今は十分お金があります。知恵を出し、国民が一つになれば、この国は守れるのです。利己的経済活動ではこの国は救えません。利他の心でしか日本 を救う道はないのです。
 私は介護保険設立の功労者である我が恩師 馬場道夫先生がお亡くなりになられた時より 介護保険制度と皆保険制度を守るため、先生に代わってやってやるぞと決意しました。「全ての人々が健康で幸せに住める国 日本をつくる」という志を持ちました。
「易経」には 師匠と志を持てば、全てのことがうまくいくと書かれています。師匠を持つと型が決まり、まねようとして周りと衝突するのですが、そこでの学びが将来役立つのです。その後自分に必要なものがまるでジグゾーパズルのように、必要なパーツが周りからやってきます。昇り龍の如く勢いを得、志を遂げるとのこと。志を果したあとは、自分が得たものを吐き出し、静かに龍は地に降り、人生を全うするとのこと。今後、私も学んだことをより多くの医療従事者などに伝え、日本の医療をもっとよくしたいと考えています。
 若い方は、まず自分の師匠を見つけてください。そして志を見つけてください。おもしろい人生ドラマがみられます。
 
 私の誠は、小なものより始まり、次第に大きな誠へと成長してきています。
25年前 老人夫婦を診ていましたが、ご主人が亡くなられ、泣いてばかりいると言われたのです。ならば日曜日の夜、子供を連れて伺うわと、訪問するようになったのです。すると もう寂しくないわと元気になられたのです。
 地域で 空き家を借り、休日にボランティアでデイサイービスをやり、老人を元気にしてきました。また、海外で心臓移植を受ける子供さんには、費用2-3億円を家族やその支援者で3年ほどかけ募金活動をされていますが、その期間中に亡くなられることもあります。2015年 京都フォーラムで発表後、政府は医療費のみ、医療保険で賄うことが閣議決定されました。このニュースを見た時、「政府で出来る範囲のことはやったぞ!あとはおまえ何をする」とサイを投げられた気がしました。医療費約1000万円を出せるようになったが、それでも多額の募金を行わなければならず、それなら最大限民で出来る方法として、一人でも救いたく、「あけぼの活動:海外での心臓移植を受ける子供らを救う基金」をつくりました。今は南海トラフ地震対策を行なおうと 次第に大きな誠へと成長してきています。
 
 3年前から、私は京都でタクシーに乗る際に パンを2個買って、1個を運転手さんにあげています。運転手さんは空腹でも、長距離のお客さんを乗せ走ると、空腹でイライラもするでしょう。事故の確率が上がり、けが人や死者がでないとも限りません。医師として これらの人も救いたいとの思いからです。
 誠は継続すると道となりやがては文化になると言います。他の人を思いやる文化を持つことで、日本は世界の国々より尊敬される国になると思います。
 
 東北大震災の時、多くの人が、我が子や家族のことが心配になり車で移動し渋滞になり、そこへ津波が来て多くの人が命を落としました。
他人を思いやる文化が根づけば、周りにいる子供や老人をより高台へと避難させるでしょう。自分の子供は 近くの大人が安全な地へと、親子共々助かるのです。大震災時 他を思いやる心が必要なのです。

 皆さんも小さな誠より 次第に大きな誠へと成長させ、良い日本、よい世界を作って行きましょう!
そして、皆が 「我が人生は尊しかった」と声高らかに叫びましょう!

 なお、この南海トラフ地震津波対策をインターネットで公開し、国民運動へと広げることで、多くの人の命を救えるものと確信しています。皆の「マコト」を発揮することで、南海トラフ地震・津波での被害者 ゼロを目指しましょう!
以上 一医師の考えを述べてみました。ご清聴有難うございました。

以下の原稿のフルバージョンのものは書籍として販売させていただきますのでご購入ください。

美しい日本を取り戻そう!

草津総合病院 岩崎 良昭

  私は生まれてすぐ森永ヒ素ミルク中毒児に認定されました。母は母乳がでず、森永ミルクを飲ませ育ててくれたからです。幼い時より、両親より中毒児であることは聞いていました。新聞で、森永ヒ素ミルク中毒児の死亡記事を見るたび、自分の命はいつまでもつのか?との不安を抱いていました。病気になる度に、常にこの不安がよぎるのでした。

 中学3年生の時、吉沢京子主演映画「父ちゃんのポーが聞こえる」の本を購入して読んだのです。筋ジストロフィーの少女が次第に悪化していくのです。蒸気機関士の父は 自宅の近くに来ると、娘に汽笛を鳴らすのです。病状は次第に、悪化して亡くなるのですが、この本を読んだ時、自分の命が続くのなら、これらの人の命を守りたい。医師になろうと決意したのです。高校時代は猛勉強、友達が遊びに来ても、「自分は勉強したいから、申し訳ないが帰ってくれ」と、心を鬼にしていました。
 家は裕福ではなかったので、何がなんでも国立大学の医学部にはいらなければならないとの自覚があったのです。3年間の1.5kmほどの通学路も参考書を読み、まるで、昭和の二宮尊徳。1年浪人にて、鳥取大学医学部に合格でき、熱い涙を流し、「すべての人の命を大事にする医者になるぞ」と決意しました。
 医学部3回生の時、西洋医学とともに 東洋医学も学びたいとの思いで、東洋医学研究会に入りました。
ある日、部長が、医者が病を治すのは尊いことではあるが、 中国には「上医 国を治す。中医 人を治す。下医 病を治す」との格言がある。「さあ、みんなはどれを目指すかな?」と質問を投げ掛けたのです。それなら、私は中医を目指そう!と思ったのです。

 滋賀医大での研修医を終了して3年目、地元、湖北総合病院に大学の指令にて赴任しました。ここで、運命の人 馬場道夫院長先生と出会うのです。地域には大学病院とは違い、いろいろな患者さんがおられました。正直、逃げ出したくなるような患者さんもおれました。しかし、ここで逃げてしまったら、「下医」に成り下がってしまう。自分は「中医」を目指したのであると自分に言い聞かせていました。そうして、この言葉が私の信念となっていくのです。

 ある日、院長がやんちゃな若者に対して、「あいつらは、親の本当の愛を受けておらんのや! わしが、親に変わって本当の愛を教えてやる!」との熱い思い発したのです。地元出身の医師の私にとっては、「もうこの人にはかなわん!」と頭が下がった瞬間でした。院長と8年間 仕事をしてきましたが、院長が60歳の時、腎臓がん 肺 脊椎転移していることが判明。大学病院で治療を受けておられましたが、1か月だけ、自分の病院に入院されました。

 この時には、寝たきりの状態であり、私は仕事が終わると、少しでも楽になってもらいたいとの思いで、毎日、1時間 背中のマサージを行い、その最中に、病院のこと 大学のことなどを私から質問を出し、自分で答え、先生に確認していただくという作業を続けました。この時、自分の考えが先生とまったく同じであることを確認でき、自分に自信が持てるようになったのです。
院長退職後、病院内には不協和音が流れ、自分も院長亡きあと、開業しようと、15年間の貯金で 開業用の土地を購入しました。
 後日、院長宅に行くと、「いい所の土地を購入したなあ。けど、副院長を全うするまで、この病院にいてなあ」と言われたのです。この時、この世に自分を必要とする人がいたという喜びは何ものにも代えがたいものでした。開業医では、病しか治せない、「下医」にしかなれないことが分かっていたからです。
 
 院長より「このごろ、病院はどうや?」と尋ねられたので、「今年の忘年会は先生がご病気なので、馬鹿騒ぎはせず、音楽を聴いて終わりました」と答えた瞬間、「皆に迷惑をかけるなあ」と大声で泣き始めたのです。「しまった!」と思った瞬間、私も号泣。なんと優しい人や、こんな人の命を奪い取るとは。大の男二人が5分間ぐらい号泣していました。代わるものなら代わりたいと心底思いました。

 再度、大学病院に入院されたので、1日だけ、大学へ行き、マッサージをして帰り際に「また、来てな!」と弱い声を発せられ、この言葉が最後の言葉になったのです。死の当日、「また、来てな!」と言われていたので大学に行き、もう一度、先生に会いたかったのですが、病室に立ち寄ることは出来ず・・・

 帰りの車の中で、「また、来てな!」は天国で「また、来てな!」やと。ならば「先生に代わって、一杯やってやるぞ!天国で再開した時に、一杯やってきましたよ!」と言い、先生より「よくやってくれたなあ」と言われるのが最大の喜びになったのです。
恩師の死後分かったのですが、先生は介護保険制度設立の功労者であったのです。先生はまさに、「上医」であったのです。
 「自分も先生のような立派な医師になりたい!」との思いが強くこみ上げてきました。

 恩師の死後、大学より草津総合病院に赴任するよう指令されました。幸いにも草津は恩師の出身の地、ならば「今度は、恩師への恩返し!」と決意し赴任しました。すべての頼まれごとは恩師の言葉と捉え、「ハイ、喜んで。」の姿勢で仕事を行い、約20年が経ちます。
通勤電車で、松下幸之助や田中角栄や豊臣秀吉や経済小説、盛和塾や天風会に入り稲盛哲学や天風哲学を学ぶとともに、東洋哲学書など「男の魅力とは何か?」を主題に置き、読書にいそしみました。
 次に、私の中医、すなわち私が「人を治した」経験をお話しいたします。
約10年ほど前、30歳ぐらいの青年が日曜日に入院していました。翌日 月曜日、私が主治医とのことで診察に行きますと、彼はゲームに熱中していました。いわゆる閉じこもりの状態であったのです。
 生きる目的もなく、自殺企図があるとのことでした。翌日、「ゲーム以外に趣味はないのか?」」と尋ねると、以前は歴史小説などを読んでいたとのことでした。翌日、自宅より、西郷隆盛を描いた「巨眼の男」を持ってくると、2日間で読破していました。次に、稲盛和夫氏の「生き方」を渡し、翌日感想を聞くと、彼は「自分は三毒に犯されていた。自分の人生、欲望 怒り 愚痴ばかりであった。」と言ったのです。今後どうするのかと聞くと、「自分は僧侶になる」と決意したとのことでした。翌日には、散髪屋にて 丸刈りにしてもらって帰ってきました。
「じゃ、何のために、僧侶になるのや?」と聞くと、「わからない」と言うのです。「では、教えよう。君のような閉じこもりの子供が日本には20万人ほどいる。君が立派な僧侶になり、これらの子供を救うのである。医師の私には、閉じこもりの経験もないので、救うことは出来ない。」「君の使命は、閉じこもりの子供を救うことであろう」と言うと「わっかた。」と、「今後は僧侶の修行に励む」と言う。「困ったことがあったら、葉書でもくれれば、また相談に乗るよ」と言って送り出しましたが、幸い、彼からは何も音沙汰もありません。

 「いきる」には「生きる」「活きる」の2つがあります。
「生きる」は生命活動を行うこと。「活きる」は目的を持っていきいきと生きること。
彼は目的、志をもって生きてくれているのだと思います。

 地域にはこのようにいろいろな患者さんがおられます。
患者さんの中には入院にて病は治り、医療費を払い退院されても、生活費が足りない、子供の教育費が出せないなどの問題を抱えられる患者さんもみられます。はたして、これらの患者さんは本当に健康と言えるのでしょうか? こんな患者さんの命を守ってあげるのも医師の仕事ではないでしょうか。

 昨今の貧困率ですが スライドの様に貧困率が毎年上がってきています。子供の6人に1人が貧困なのです。
また、子供に関しては スライドのように、貧困層により多くの病気の子供が多く、わが国でも貧困対策が 子供の健康を守るためにも必要とされるのです。
我が国は、飽食の時代を謳歌しています。一方 貧困にて食にありつけない人もいます。人は適切に食物を食べなければ健康は維持できません。医食同源なのです。新聞報道で、我が国で廃棄される食材は約20兆円との記事を目に致しました。我が国の医療費が約40兆円。20兆円はあまりにも高額です。戦争反対と言いながら、間接的に人を殺しているのです。

 提案します。廃棄食材を、まず半分に減らしましょう。日本の食糧自給率が約25%ですので、20兆円のうち15兆円は廃棄されるために輸入された食品といっても過言ではありません。廃棄食材を半分にすれば、世界の多くの子供の命を救うことも出来ます。

 提案1として、コンビニ、スーパーなどの廃棄食品を売る、セカンドコンビニをNPOで企業するのです。食品ごとに賞味期限と限界賞味期限を作り、賞味期限ものは今までのコンビニ スーパーで売り、賞味期限より限界賞味期限のものは格安で センカンドコンビニで売るのです。消費者はマイナンバーがありますから、低所得者はセカンドコンビニで買うことができます。

 提案2として、市場に出せない非規格野菜をセカンド市場、これもNPOでつくるのです。低所得者を対象とした商店にのみ
販売し、食品の無駄を減らすのです。このことは農家の収入を増やすことにもなります。 

 提案3 ドギーバッグ普及委員会では、飲食店での食べ残しを無駄にしないように、自己責任で持ち帰ることを店側に証明する「自己責任表明カード」を提示し、飲食店や消費者に食品衛生上のトラブルが生じないよう呼びかけをしています。この「自己責任表明カード」の啓蒙を、国全体で行うことです。

 セカンドコンビニやセカンド市場は、新たな雇用を生むことが出来、就労支援にもなり、コンビニやスーパーも利益率を上げることが出来き、効率経営にもなります。また、輸入食材を減らすことができ、貿易収支の黒字化を維持できる一方だと思います。

 次に、日本農業の問題点ですが、農業の問題点は農業従事者の平均年齢の上昇であり、65歳以上の従事者数は140万人、 約60%です。10年後には、食糧自給率は10%を切るかもしれません。
食糧自給率が25%の現在、もし輸入食材がストップすれば、1年間に約3000万人が餓死するとも言われています。

 健康を維持するには、食品を、量とともに質を確保する必要があります。そのためには、食物はやはり安心な国産のものです。
しかし、将来の農業従事者人口の減少は確実であり、農業従事者人口の確保が必要です。

 そこで着目したのが、大学入学が4月より9月に変更されれば、
4月より9月までの間に学生に農業体験をさせることが出来きます。大学入学者数は毎年約60万人。食糧自給率の確保とともに農地の保護にもなりかつ、学生の教育にもなると思います。地域に多くの寮などを作り、集団生活をおくるのです。また、高額な農機具を準備するのです。
2-3兆円かけ農業支援 農業従事者を直接支援するのです。
一人あたり毎月20万円とし、学生が10万円 農業指導者 6万円 学校側 4万円などとするのです。

 すべての大学が9月入学とし、企業の入社時期も9月に変更することで、日本の農業が守れ、国民は安全な食品を口にでき、 国民の健康に役立つのです。
食品だけは世々代々引き継がねばならない問題であり、この問題を放置すれば、食品で 他国が我が国をコントロールしてしまうかも知れません。

 以後、全ての人が、健康で一生涯を全う出来るよう、現場体験で気づいた問題点と解決策を提言させていただきます。

 現行の介護保険制度では、生活保護を除く低所得者の高齢者の方は十分な介護サービスの提供を受けることは出来ません。
 約20年前 私がボランテイアにて、高齢者の入浴サービスを行っていた時のことです。90歳ぐらいの二人の老人が「長生きして幸せか? いや、ちっとも幸せとは思わん」。最後に、「長生きして、死ねないわしらが悪いんや」との言葉を発せられたのです。この言葉を耳にした時、今まで命を永らえさせることばかり考え、医療をやってきた。その裏で、こんな不幸なことがあるのか、と頭が落ち、瞬間、身が固まりました。日本には、このような老人が一杯いる。どうにかしなければならない。このまま何もしなかったら、自分も将来、同じ言葉を発する。今、動かなければ、将来に禍根を残すと思ったのです。それまでは医学の研究や学会発表が大事と考えていましたが、この神の声を聞いてからは、医学の「学」よりやはり「人を守る心」がより大事であり、自分は院長が残してくれた介護保険制度のシステムを守っていこうと決意しました。介護保険の要の介護支援専門員の試験を受け、将来のあるべき姿の介護の在り方を学びました。
 介護支援専門員の資格を得た後、県の協議会ができるとのことで、県の代表を勤め、全国組織設立に向け、東京・大阪などを駆け巡り、その後、学会の先生方の尽力にて、全国組織が出来るようになったのです。
 介護保険制度は、地域の財政が持たない現状では、出来るだけ、ボランテイアなど保険料の上がらないようにしなければ、制度自体が成り立ちません。
そこで、私は自宅のそばに空家を借り、地域のボランテイア6人とで、週2回 おやつ代 1回300円で デイサービスを行いました。
春には、長浜城で すき焼きで花見。年末にはお寺で、子供と一緒に餅つきなど、ボランテイアでこそやれることを楽しみました。買い物に行けない老人を、車で近くのスーパーまで送りに行ったり。花見のとき、「長生きして、幸せやなあ」と老人が言われ、その時、私の心は満足感でいっぱいでした。

 地域に多くのボランテイア組織が出来れば、その地域の介護保険料を抑えることが出来ます。都会の老人を地方の施設に入所させるようなことは、老人にとって喜びではないのです。
 低所得者の介護を支えるには、多くの人がボランテイアに参加しなければなりません。ボランテイア自身も将来は介護を受ける身になるのです。低所得者の方にはこのボランテイアを
 ボランテア貯金できる制度をつくり、ボランテイアに相当する分の介護を将来無料で受けられる循環システムを作れば、介護保険料の増額を抑えることができ、かつ介護予防にもなり、それは医療費の抑制にもなります。
 日野原 重明先生が言っています。「生き甲斐とは、自分のやっていることが、他の人の役に立っていると自覚出来ることだ」と。
介護ボランテイアは多くの人に生きがいを与え、かつ自分の将来のためになるのです。

 医療保険や介護保険制度を永続的に担保するためには、  人口減少、少子化問題が大きな問題になります。これらを解決しなければ、医療・介護保険制度は維持出来ません。

 まず、少子化問題は フランスが家族の収入を 家族数で割り、その額に応じて税を掛けるという方法を取り入れ少子化を克服しました。3世代が同居すれば、減税になるのです。
子供の世話を祖父母が行えるので、両親は二人とも仕事に就け、家計も潤うのです。
祖父母は孫の顔をみて生活ができ、祖父母の喜びは 健康にも繋がります。三世代住宅 三世代マンションなどに補助金を出すのです。

 日本の山には 資源があります。三世代住宅を勧めるのです。山にも手を入れ、広葉樹林を植林したりして、将来の森林資源を育てるのです。森も介護もすべて循環型にするのです。

 国民皆保険制度は、発足当時は、国民全員が平等で、病人を支える構図でしたが、昨今の少子化時代で、2025年には4人に 1人が高齢者の時代で、かつ高齢者が多くの財産を持ち、支えるべき若者が貧困状態では、皆保険制度自体が成り立たちません。

 スライドは 年齢別にみた 貯蓄額です。圧倒的に高齢者が多くの財産を持ち若者はほとんどありません。このスライドは 年齢別の一人あたりの医療費です。高齢者に  100万程度の医療費を費やしています。

 高齢者の中には、多くの財産を持ち、年金を多くもらい、かつ医療費は減免され、これらのことは若者に負担をかけ、貧困を招いているのです。
若者を助けるために提案します。子供および成人は医療費を無料化にすべきです。
 子供の心臓の先天的異常にて海外で心臓移植手術を受けられる費用やその後の治療費も無料化にするのです。草津にも、
心臓移植を受けられた子供さんがおられます。8000万円を募金で集められました。私も寄付をするとともに、夏祭りに1日募金をお願いしました。2万5千円ぐらい集め送りましたが、翌日には体がボロボロ。もし2人目が出たらと考えた時、この問題は国レベルで解決しなければならない問題だと感じました。移植手術を受けられる患者さんのご家族は崩壊状態になりかねないからです。
 この募金をやっていた時のことです。遊び人の人が、二人を共にしていました。募金を依頼すると、「兄ちゃんすまんなあ。わしら貧乏やから。これでこらえてや」と言われたのです。財布には500円玉 1個と 100円玉が3個入っていました。その人は500円玉をとり、募金してくれたのです。 この時、私は深々と頭を下げ、人は見かけで判断してはいけないことを学びました。

 高齢者も低所得者の人は補助をつけますが、富裕層の高齢者は負担していただくのです。医療は、病人を治し、再度健康になられ、労働人口を確保するという大事な使命を担ってます。このことは国にとっても非常に大事な問題であり、医療費の増大が国を亡ぼすような悪であるというような考えは断じて許せません。

 今後、IPS細胞などの再生医療が受けられる機会があるといわれます。またロボット産業の進歩により、障害者が歩行可能になったりします。しかし、今の医療制度では再生医療やロボット購入を出来る人は一部の富裕層に限られてしまいます。子供や成人の医療費が無料化になれば、再生医療は大いに提供され、障害を持った人も健康になれ、ロボットにて障害者も社会進出が可能になります。無料化にてこれからの需要が増え、再生医療・ロボット産業が国の本当の成長戦略になるのです。
 ただし、これらの成長戦略に対し、国は規制を設けては、真の成長戦略にはなりません。規制の中に於かれた製薬業界は世界では通用せず、規制が掛けられなかった自動車産業は世界に通用しているのです。あくまでも市場原理に任せ、真の成長戦略にしなければなりません。

 次に、低所得者の補助策につき述べます。先のセカンドコンビニ売上げの半分、例えば1日1000円の買い物をされれば、仕入れと職員給与を500円とし、残りの500円をその人ために貯金します。その貯金を人生の節目に与えるのです。結婚されれば、500円x365日x8年=146万円 二人で約300万円 子供の入学金50万円などと。また起業しようとする人にも 200万円 2-3人集まれば起業でき、貧困より脱出できるのです。
老人に必要な医療費も100万円と捻出するのです。
 
 このようなシステムをセカンドコンビニに持たせると、貧困家庭の子供にも教育を受けさせることもでき、貧困の子供にもチャンスが生まれてくるのです。貧困より抜け出せる「おもしろい国」になれるのです。

 50歳ぐらいの生活保護の患者さんを、慢性膵炎の診断で見ていました。膵臓癌でないか、時々検査をしていました。しばらく、来られなかったのですが、いつもの痛みと違うと言われ、CT検査をしてみると、膵臓癌 肝転移 予後3か月と判明。癌専門医にて抗がん剤治療をしてもらおうかと言うと、家族より「先生、癌がないかどうか検査も分からなかったんやろ。わしらそのことに対しては何も言わん。しかし、わしら先生より診んと言われたら、誰も診てくれる医者がいんのや。最後まで先生こいつ診てやって。」と言われたのです。目頭が熱くなり、立場弱き者のために、もっと頑張らなあかんと、我が身が燃えていました。抗がん剤治療の甲斐なくお亡くなりになれらましたが、最後に「自分は何も心配していない。子供二人も生活保護になりよるやろから」と。
 子供は小学生ですよ。私はこの人のこの言葉には何も言えませんでした。経済大国のこの国の立場弱き人には希望すらないのです。私は彼にあの世で、「子供さんにも希望を与えられる国に変えて来ましたよ。」と告げたいのです。

 このようなチャンスを与えられることは他国では出来ません。日本が世界に先駆けて「チャンス」に恵まれる国になろうではありませんか。
 多くの企業は利益を追求しています。戦いの中でより強くなるためです。しかし「強さ」とは「弱き者」を守ってこそ本当の「強さ」の意味があるのです。本当に強い人は優しい人なのです。
 今こそ「強き者」「上に立つ者」は「弱き」を助ける勇気も持ち、 国民全員が幸せを謳歌する国家を作ろうではありませんか。
寄付の文化を根づかせ、成長した国家を建設しようではありませんか。「優しさのひとすじの涙」、救済の1%運動を展開しようではありませんか。涙は他の人のために流すものなのです。
 経常利益の1% 給与の1%を寄付するのです。日本や世界の貧困層の方々に仕事を与えるのです。「足るを知る」の心で、世界を変えましょう。貧困問題により戦いが生じています。彼らに武器を持たせ、人を殺させるのではなく、彼らに仕事を与えて、生き甲斐を与えることが先進国の役割ではないでしょうか。
 
 御出席の方々のそれぞれの経験を生かし、本心・良心に従い、個より、地域の人、国民のため、いや世界中の人々のため、銘々の魂を燃やし尽くそうではありませんか。「日本に生まれてきた良かった。」と全国民が言えるような国にしようではありませんか。
 私は若い時より 「上医 国を治す 中医 人を治す 下医 病を治す」という段階的 信念を持ち、自分自身を師匠の完全コピー版とし、また師匠を亡くした後は、あの世の師匠をただ喜ばしたいとの一念にて現場で、逃げず もがき苦しみ、自分自身を作ってきました。私のこの経験を、すべての人が共有できれば、すなわち、 すべての職業人が、私と同じような段階的信念を持ち、各自銘々の師匠を乗り越えられるよう、ひたむきに努力を続けることで、本当の自己実現が起こり、さらには他己実現をも可能とする、他の動物では味わえない、人間にのみ存在する能力、本当の人間の価値をつかみ取れるのです。これこそが、人間の真の幸せなのです。
 まず、自分が輝き、そして周囲の人を輝かせることが出来るのです。 一燈照隅 万燈照国なのです。

 哲人 中村天風が言っています。たった一回しかない人生、本能や 理性より生じる欲望を満足させる人生で終えるのではなく、霊性の満足を目標とするようにと。それ故、人間は万物の霊長であると。それは、常に「世のため 人のためになることをする」という思いを持つことなのです。
 
 ここに御出席いただいた方々が、オールジャパンで取り組めば、日本は素晴らしい、世界に誇れる国になれ、世界ももっと良き世界になると思うのです。さあ、皆さん共に世界を良くするために勇気を持って一歩を踏み出しましょう。そして健康社会を取り戻しましょう。 前進 前進 前進だ!
2週間後 安倍内閣より、1億総活躍社会が発表される。